死生について等

東京の29歳独身女性です。社会ではネガティブ発言はNGみたいなので、ここに書いてなるべく発言しないようにします。

テスト兼あの人への為の投稿

男もすなる、日記といふものを、女もしてみむとて、するなり

何の自己発信もせず、日々オナニーで消耗ばかりしている不衛生な女性は至極汚らわしい。
そんな女性は、僕の恋愛対象として到底見れない。僕の理想に近づきたいのであれば、手っ取り早くブログでもしてみてはどうかね?

といった主旨の言葉を意中の異性から浴び、超今更ながら涙目でブログのアカウントを作成した。
休日の夜、明日から会社。プライベートと会社の間の顔をした藁をも縋るアラサー女の、最期の自己顕示欲由来の手記である。

彼はアメブロで知り合った女と猥雑なコミュニケーションをしていた過去があるので、咄嗟にブログというツールが思い浮かんだのか…?
休日の夕方、駅ビル内の混雑した喫茶店で追求しようとしたが、卓上のロイヤルミルクティーを混ぜるふりをして口をつぐんだ。

とは言え中身空っぽの、もう詰め込む夢さえ微塵も考えられなく日々OLとして忙殺されている私としては、話題の選択の時点で途方に暮れている。
切り売りできるのは日常の不満と昔話、その他諸々に誰得コンテンツしか思い付かないけれど、
まだまだ頭を擡げる自己顕示欲をどうにかする場として、少しだけやってみる。

遠い過去、高校の倫理の授業で、例の如くマズローの欲求五段階説というものを勉強したかと記憶する。
自己顕示欲は、怠惰に身を任せ心ゆくまで寝ていたい、新鮮な海鮮やホルモン焼をスーパードライと供に味わいたい、
吉井和哉のような超イケメンに抱かれたいといった、所謂人間の三大欲求よりも高等なレベルの欲求であり、人間が社会生活を営む上で
モチベーションとするところに深く関わっているという内容だったかと思う。
当時15、16歳で成績優秀とは言い難い、冴えない生徒であった私は、ムラムラとした得体の知れない欲求と日々戦っていた。
自分は生まれながらに至極特別な存在であり、その自分の中の何かを爆発させて将来の生業にするべき。そして自己顕示欲は最大限に満たされ、その仕事の成果として
相応の収入を得、勝鬨あたりのタワマンにて凡人に羨まれるようなリッチな生活をする権利が与えられる。そんな未来を掴むために、今何をすべきか開眼する必要がある。
…そこまでは十二分に理解していた。
しかし、それが何者なのかがさっぱり検討がつかず、年を経るにつれてとにかく社会から浮くのを怖れて、結局今までもこれからも人並みの一生を送っていくことが決定してしまった
一塊の肉片のようなOLが、結果どうにもならなかった自己についてもう一度だけ考えてみるのも、一人ぼっちの自宅での暇つぶしには良いかもしれない。

あと5時間後にはスマホの目覚ましで目を覚まし、低血圧で無表情な顔に化粧をしてオフィスカジュアルに抵触しない服装に身を包み、
感情を消して定刻の満員電車に謝りながら乗り込むだけの明日。
つまらないとしか言い様のない日常をつまらなく記録したいと思う。